哲学の専門的訓練はまったく受けていない、完全素人なのだが、何年かに一度、ふと哲学者 永井均の著作を読みたくなるのは何故だろう。
山括弧の<私><神><今>をめぐる形而上学的な言説と、それをめぐる反発、議論の混乱、などなど含めて楽しめるからなのか。
以下のイベントでいろいろ議論した際に出てきた、面白い意見・自分が気になった概念ツールなどを抜粋。
TwiPla - 【日程訂正】[04/09土曜日][新規参加者募集][Skype通話]永井均『転校生とブラックジャック』のskype読書会
+--------------------------------------+
・物理的連続性、心理的連続性、存在論的連続性という3項関係
・常識的な「私」は、物理的連続性と心理的連続性が成立条件
・永井均の<私>は、物理的連続性と心理的連続性は関係なく、どこまでも言及し得ない<これ>なる存在論的連続性が成立条件
・概念問題を実在問題にすり替える欺瞞が見受けられる、と
・さまざまな可能性/不可能性
概念的可能性/不可能性、
物理的可能性/不可能性、
言明可能性/不可能性、
思考可能性/不可能性、
識別可能性/不可能性、
存在可能性/不可能性、
思考可否 x 識別可否 x 存在可否 という3項の8通り組み合わせをレトリカルに使い分けるのが永井哲学
・身体的存在者 != 私
・もし人間が、切っても切っても脳が生成するプラナリアのようだったら、といったような、物理的諸条件には左右されず、かつ客観化一般化できないのが、<私>
・懐疑を徹底することはできない。懐疑を徹底すると、自ら依って立つ「X」そのものの正否まで疑われる、自爆的プロセス。
・特殊な私 != 一般的な私
・不可能な会話
A「私Aだけがこの世界で特殊な存在である<私>だ」
B「確かに私Bだけがこの世界で特殊な存在である<私>だ」
AB「お互い、そうだそうだ。」
→A氏とB氏の間で「<私>」に関する同意が得られることは、<私>の定義上不可能
(→以前、別の会で、この不可能会話を見聞きして吹き出してしまったw)
・単行本『転校生とブラックジャック』p.178-の『哲学的議論のための要諦』が永井哲学を進める上での方針かと
+--------------------------------------+
2回目以降もやるそうなので、ちょっと中途半端に出した<私>論の記号的な分析をまとめて、再提出したいと思います。
哲学は、個人的には、「概念操作遊び」と思っており、これからも、概念操作を楽しんでいきます。